身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

単なる露悪趣味ではなく。

昨日のこと

 昨日は大宮日進町で、七夕まつり前夜祭の打ち上げに合流した。音楽イベントなのに、もともと音楽を聴きに行ったのではなく友人の絵の展覧会を見に行ったので、展覧会会場でノンビリしていた。

 しかし、ここ数日の落ち込みに反し、行くときは、本当にウキウキだった。起きて30分で家を出た。久しぶりに車を運転して行きたくなったが、この精神状態だし向精神薬を服んでいるし、何より15年間、運転していない。

 日進駅まで2時間を見ていたが、1時間で着いてしまった。埼京線川越線直通というのに乗って、それ1本で着くはずなのだが、大宮駅での停車駅の案内アナウンスで日進という言葉が聞こえなかった。それで本来の川越線に乗り換えて10分ほどロスした。

 日進駅を降りて驚いた。大宮という新幹線停車駅の隣駅で、都心から1時間しないという立地でありながら、駅前に何もないのだ。

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 繁華街と逆の方に降りたのかと思ったが、こちらが繁華街とのこと。駅前商店街といえば商店街らしきものがあるが、いきなり商店街の入り口にあるのがコンビニ。普通の商店街って果物屋とかない?

 そして、昼食の時間に。出演者も揃って寿司屋に行く。寿司屋といっても、地方によくある、寿司も出すけど何でもあるというような店だ。埼玉県の野菜を使った野菜寿司というのが有名なのだそうだが、みんな、鰻を注文。

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 飲んでいて手を付けるのが遅くなったので鰻の写真はないが、みんな飲んでいる。私は客人なのに、みんな、午後の仕事(といっても演奏と放送だが)は大丈夫なのかと思ったが、炎天下、ビールを飲みながら仕事をしていた。バテないのかな…。

 昨日のエントリーにも書いた山本熱史さんが、あまり、こういうものを快く思っていないようだ。昨日も、その集まりとは関係なく吉祥寺に仕事をしに行っているという。なんとなく解った。楽しければいい。向上心がない。それで飯を食っている熱史さんにとっては、そういう甘さが目に付くのだろう。

 そして、これが楽しみでいっている打ち上げ。みんな、翌日もあるので、まぁ軽くという感じだった。久しぶりにシャキッとした気分で渋谷により、久しぶりに嫌な気分でなく飲み直した。

 ※音が出ます


2018年08月05日・渋谷ハチ公前スクランブル交差点

 

 これを撮っていた目の前に地下鉄銀座線の乗り場があるのだが、半蔵門線の方が遅くまで動いているという先入観で、5分近くかけて地下3階の半蔵門線ホームへ。そうしたら、終電なのだけど、青山一丁目止まり。そこで初めてスマートフォンで調べたら、銀座線なら、まだその時間に家までの電車があった。

 しかし、これだけ乗客が多いのだから、青山一丁目で何かあるのだろうと思い、そのまま乗る。そうしたら、青山一丁目大江戸線に乗り継ぐことができ、麻布十番までは帰ることができた。

 そこから寓居まで歩いて15分ほどなので、チンタラ歩いて帰ろうと思ったのだが、5分ほど歩いて投げ出し、タクシーで帰る。570円。コーヒーを1杯、飲んだと思えばいいか…。 しかし、今月は感情的になって飲んだこともあり、風呂なしアパートの、ひと月の家賃ぐらい飲んでいる。

 

 

今日のこと

 ここからが今日のお話。今朝、おそらく出勤する人や車の喧騒で目が覚めた。そして、私は金を稼いでいるわけでもないのに、何をしているのだろうと思った。酒を飲んで帰って、仕事に行くわけでもなく…。

 そもそも、会社勤めができる気がしない。もう退職して15年以上の時が経つ。本当、町で働いている人を見ると頭が下がる。自己満足にすぎないが、バスに乗るときに運転手にお願いしますと言ってみたり、工事の誘導をしている人に頭を下げたりしている。

 そして、酔っ払って帰ってきて翌日は遅くまで寝ている分際で、どうして頑張っているのに勤まらないのかなぁと思う。その辺は、今の主治医は初診で「キチガイ家族の被害者だと思って自分を慰めてあげてください」と言ってくれて、それで救われているところはある。というか、そのようなことを言わなかったのは前任の医師だけだ。

 そして、また、親への恨みつらみが頭を持ち上げる。一昨日、書いた、私のことを心配して親にコンタクトを取ってくれた医師を「最低の藪医者」と罵った親。今の主治医が、あの先生との出会いがあったので悲惨なだけの人生ではなかったと言うのに。

 しかし、これらの恨みつらみを書くことは、単なる露悪趣味だよなと思う。この前、自分は酷い目に遭ったのにお前より頑張っていると煩い奴がいたのだが、その「酷い目」を話して、これだけ話したんだから有難く思えと言う。

 なんで不幸自慢された上に感謝しなければいけないのさ。これこそ露悪趣味の典型ではないか。そして、そうならないための方策を色々と考えている。そのためには、やはり文学のレベルに高めるために書かなくてはならないと思う。

 今日は広島原爆投下の日だ。かつて暑い夏は嫌いだと書いたが、ポツダム宣言通告から敗戦までが、なんで夏なのだと思う。祈念イベントが真夏の炎天下に行われるのを見ると、ものすごく自虐的なものを見ている感じがする。

 殺人的な日照りのときだけでなく、寒い冬も、気候が温暖な春も秋も、戦争を忘れてはいけない。なんで夏だけ… と思ってしまう。声に出さなくても、イベントを行わなくても、みんな、戦争は不幸を引き起こすことは解っている。だから、他の季節でも戦争を忘れないという決意としても、今日は戦没者への黙祷で留めようと思う。

 

P.S. 今日は区からの「防災情報メール」が立て続けに来たので早々に自宅での作業に切り替えた。

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