身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

医者の考える幸せ。

 本当は「座右の銘に見る幸せの形」というタイトルにしようかと思ったのだが、取り上げようとするほとんどの人物から座右の銘を聞いていないので、表題のようなタイトルになった。

 さて、今日は通院だった。完全予約制で予約は午後4時半なのだが、前の患者が早く終わって次の患者の予約時間まで間があるときには早めに診てもらえるので、だいたいは早く行く。

 今日は図書館で調べ物と読み込む物があったので昼食もクリニック近くで摂った。ちなみに寓居の近くには港区立高輪図書館があり、通院先の近くには港区立三田図書館がある。両方とも港区立みなと図書館の分館という位置づけなので、どちらの図書館で借りて、どちらで返してもいいし、他の分館にある資料も取り寄せ可能だ(利用したことはないが、港区では区内の大学図書館の資料も取り寄せが可能らしい)。

 なんか港区立図書館についての話が長くなってしまったが、今日は、食欲がないので昼食は田町駅の駅ビルにあるドトールコーヒーで摂ることにした。ここは店舗限定のミラノサンドがあるからだ。

 持参した本を夢中で読んでいたが、実は、家を出る前は気が気でなかった。私は抱えきれないことがあると医師にFaxしてしまう癖があり、金曜日に朝の4時まで飲んでいたこと、嫌なことを思い出して仕方がないことなどをFaxしてあったのだ。

 今までにも、酒を飲むなと言っているのに飲んで具合が悪くなったと言われてもな… 医者は診療拒否はしてはいけないが飲酒は例外にしていいと思う… & etc.と先生にキツいことを言われたことがある私は、今回も何か言われる気がしたのだ。

 嫌なことは一刻も早く終わらせたいのが人情というもの。診察開始と同時にクリニックに入ったら、なぜか次に呼ばれた。もう、悪いことをして教員室に呼ばれるのを待つ中学生の心境だ。

 これは、ここに書いたのかFacebookに書いたのか忘れたが、全力を尽くしても駄目だったということを訴えることにした。そうしたら、意外にも先生はケロッとした顔をして、回復して良かったと言う。

 そして、ふと、昨日、TVで幼児向けのパンダのアニメを見ていたのだと言う。患者の側としては、は? である。先生が話を続ける。子供が親に部屋を片付けなさいと言われるんだけど、塗り絵が出てきたら、それに気を取られてしまって部屋の片付けが捗らなくて、なんか、何かに気を取られるのがね、と言う。

 私も録音しているわけではないので(前任の医師のときには発言の証拠として録音していた)話が、どう続いたのか忘れてしまったが、作家という職業の話になった。何かに気を取られると夢中になってしまう私は、学者か芸術家の適性があるのではないかという話の流れだった気がする。

 そうそう、そういえば、私が金曜日に訪ねた作家先生が、雨が降ったらワイパーに気を取られて外が見渡せなくて車の免許が取れなかったというんですよね、という話をしたことが発端だったか。

 フィリップ・K・ディックだったかな? アメリカの作家の話になった。現代アメリカ文学の潮流というタイトルで1編書けるのではないかと思うほど、先生はアメリカ映画が大好きで、その原作をまめに読んでいるようだ。

 その人の生涯の話になって、その、ディックだったかが、素晴らしい作品を残したが、最期には酒を飲んでホームレスを連れ込むようになり、見付かったときにはアル中で死んでたという話だった。

  そんな晩年には良い作品も書いていませんし、たとえ良い作品を書いたとしても幸せではありませんよという話だったと思う。しかし、〆の言葉は、一言一句、覚えている。

僕も変わった人間だからエキセントリックな生き方も否定しませんが、医者としては穏やかに生きて欲しいなと思います。

  この先生、今日は、白衣で見えなかったのか上半身は覚えていないが、下はダメージジーンズなのにレースのソックス、スリッパのような形をした革のサンダルという出で立ちだった。

 実は、この「否定しない」ということが大切なのだと思う。前任の医師は全否定だった。病状を訴えても、すべて言い訳と言われ、TVを観ようとしたのだけど無理だったと言うと、そんなもの観なくてよろしい、の一言。

 今の先生も前任の医師を知っていて、言い訳だといって薬を出してもらえなかったと言ったら、○×君(前任の医師)は頭が固いと言って薬を出してくれて、だいぶ楽になった。ちなみに今の先生は麻酔科医から精神科に転身した人で、薬の有用性を声高に叫んでいるように見えるのだが、薬は出さないので有名な人でもあるらしい。

 前任の医師が否定するのは、私の病状やTVの存在だけではなかった。アロハシャツを着て行ったとき、カルテがチラッと目に入ったのだが「トロピカルな格好」と記されていた。本当に挙げるとキリがないが、それをすべて実行したら生きる楽しみはないだろうなというような生活をしろと強いた。

 前にも書いたが夏目漱石研究の第一人者である早大教授でも民放のTVドラマを観て楽しんでいるし、その医師の言うことを全て実行したら、それは奴隷になれということと等しいことに、私には思えた。

 没個性… そんな言葉がシックリ来る。朝は起きてシャワーを浴びて会社に行って夜はまっすぐ家に帰って再びシャワーを浴びて明日に備える生活をしなければいけないのです、あなたは肥満でもありますから、それも解消しなければいけません、という感じだ。

 その医師に学歴を訊かれたことがある。互いに千葉県の育ちで、学区は違うものの、あの学校と言えば判る。私は東葛東葛飾高校)を落ちて茨城の江戸川学園取手の特待生ですと言ったら、あぁ、瓜ヶ谷さんのころだと、まだ県立の方が上だった時代ですよね、と言う。

 この、上というのが、よく解らない。私は校風に惹かれて東葛を受けたのだが、校風は、上下とはいわないだろう。偏差値が上なのか、進学率が上なのか。先生は、どこの高校ですかと訊くと、答えない。私は最終学歴が良いからいいんです、みたいな感じだ。ちなみに、その医師は東京医科歯科大卒である。今の先生は京大だけど。と書く私は大検を取って専門学校だけど。

 どうやら、この医師にとっては良い学校を出て良い勤め先に勤めるのが幸せで、多様性を認めていないようなのだ。しかし、これって、土地柄によるものが大きいのかなとも思う。

 この前、埼玉出身の某アーティストと話をしていて、埼玉は、金を出して良い物を買おうという土地ではないから、まして芸術などに金を出すことなどなく、東京で活動をせざるを得ないと言っていた。

 それをいったら私が通っていた高校がある茨城なんで地獄だ。逆に芸術的才能があると叩かれるという酷い土地だ。その中でも江戸川学園取手など、創業者は自分の業績を自分で偉業だと讃えて自分の銅像を建ててしまう学校だ。

 私は精神を壊して退学したが、退学したのを誇りに思っている。あの学校を出たと自慢するのは、私はファシズムの社会でも声を上げずに平気で生きられますといっているようなものだと思っている。

 ちなみに高校入学時の偏差値は75だったが、退学時には30だった。学年主任(のちに銅像を建てた校長を下克上して校長となるが学校教育法違反で失脚)に「顔が気に食わないから正座していろ」と授業にも出させてもらえないという学校だった。唯一かばってくれた国語教師は心労で死んだらしい。

 なにか高校に対する恨みつらみが大きすぎて、ちょっと本題から逸れてしまった。しかし、中学の同級生に会うと、男性は子供が大きくなるのが幸せ、女性は結婚して幸せという話ばかりだ。

 私は、本人が幸せなら、それで良いと思うが、その価値観を私に押し付けないでほしい。そうか、Kの家は、お前の代で途絶えるのか、などと言われるが、別に江戸時代の武家ではないので、死んだ後のことなど、どうでもいい。

 時間が来てしまったので結論を書くと、私が今かかっている先生の座右の銘は「自分の哲学を持つこと」である。前任の医師は「平凡に暮らすこと」だ。訊いていないが、私が知っている千葉県人は、みんな、そうなのではないかと思うほど画一的だ。ただ、千葉県でも、作家の伊坂幸太郎(敬称略)は私と同学年で隣の中学だったらしい。

 そして、私の座右の銘は「駄目なら駄目なりに頑張る」だ。どーせ頑張ったって、収入が増えるわけでも社会的立場が良くなるわけでもないけどさ。そんな駄目人間の声に耳を傾けたいという人がいたら、次の本をオススメさせていただく。

負け犬の遠吠え (講談社文庫)

負け犬の遠吠え (講談社文庫)