身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

東京都港区出身。

 実は、久しぶりに小物特集の記事を書いたのだが、お蔵入りしていただく。近ごろ読んでいるBlogや書籍を見て、なんか、東京について書きたいなぁと思ったからだ。

 誰だったか何の職業か忘れたが、しばらく前、渋谷に住む芸能人が、港区は田舎と言って炎上したのを記憶している。しかし、東京の人間から見ると、それが正当で、炎上させた人たちが田舎もんだなぁということになる。

 誰でも自分の郷里というのは誇りたいものだ。しかし、私の周りの人間を見ると、本籍地が港区であるのを誇っているのは私くらいだ(育ちは千葉県松戸市)。

 それでは、皆の自慢の郷里というのは、どのへんなのだろうと思うと、圧倒的に多いのは日本橋中央区)だ。それと、ほぼ同率、少し下で神田(千代田区)が並ぶ。

 ここで俺の本籍地は麻布(港区)だというと、お前は気取ってやがるからなと言われる。私も天の邪鬼だから、親は麹町(千代田区)だぜと言うと、その色眼鏡の色が、ますます濃くなる。

 ここで、私の大好きな夏目漱石の『坊っちゃん』から一節を引用させていただく。

ところがこの女はなかなか想像の強い女で、あなたはどこがお好き、麹町ですか麻布ですか、お庭へぶらんこをおこしらえ遊ばせ、西洋間は一つでたくさんですなどと勝手な計画を独りで並べていた。

 『坊っちゃん』が発表されたのは1906年明治39年)のことだそうだ。東京の人間は、まだ当時のイメージを引きずっているわけです。

 女性がブランコがある庭に恋焦がれるのが麻布・麹町だとすると、神田・日本橋というのは、勇壮な神田祭山王祭に代表されるように、いたって男性的だ。これこそが、イキでイナセな江戸っ子が港区出身というのを嫌う理由である。江戸っ子だってねぇ、麻布の生まれよ、とは言わない。

 私には、港区の出身といい、有という名前といい、東京の中ではイジメの対象とすべき女々しい要素は十分に揃っているのだ。

 しかし、茨城の高校に行ったら、東京の人は、そんな狭い地域の中で出身地を競うなんて了見が狭いといいながら、東京出身者を十把一絡げにイジメの対象とする、いずれにせよ、イジメられる運命なのだ。(たまに書かないと本気にする人がいますが、イジメは冗談ですからね。)

 ここで、もっと他の区にもわたり子細な歴史や特徴を書いたのだけど、あまりに長くなったので消した。読んだことないけど、泉麻人さんの『東京23区物語』あたりに書いてあるんじゃないですか? 読んでいないので、そういう本でないとしたらスミマセン。

 結論からいうと、東京の中でも、場所によって、いろいろなキャラがあり、皆、自分のキャラを出身地になぞらえる。そして、それについて語りだすとキリがなく、良い酒の肴となるのだ。郷土愛を持つと酒が美味しくなります。(また今日も強引にまとめたな…。)

 

 

P.S. 港区のローカルネタを3つ。

 

 渋谷区から見れば田舎でも、港区は芸能が盛んだ。今日、三田の普通の住宅街で、同じクルーが移動しながら長時間、TVドラマ? を撮っていた(今回は撮影OKだったが、腰が引けて、こんな画しか撮れなかった)。この"AYA"というTシャツを着ている女の子が主演の様子。アイドルなのかな。

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 そういえば昨日、私の家の近所の、かなり人通りが多い交差点で、さる時流に乗った有名女優が普通に横断歩道を渡っていたのだが、誰も何も言わなかった。気が付いていて言わなかったのか、気が付いていないのか、今でも謎だ。

 

 もうひとつは、港区とは関係ないかもしれないが、近所の港区立高輪図書館で、閉架の書籍を出してもらったときのこと。懐かしの貸出カードと貸出票! いちばん古い貸し出し記録は昭和47年(私が生まれた年だから46年前)の7月6日。図書館の電話番号の局番も3桁。港区は古い文化を大切にするところなのだ。

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