身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

文学は私を楽にする。

 今日は朝から物憂かった。弱っているのか何なのか、感情が他動的になっている。オウム真理教関連のものとか天災に関するニュースを聞くと、こっちも嫌な気分になる。スマートフォンに次のような画面が出てきて、普通なら噴き出すところだが、亡くなった落語家のことを連想する。

f:id:urigayatsu:20180708105951p:plain

 

 地下鉄サリン事件のとき、私は霞ヶ関に近いところにある会社に出勤していたが、世論について書くことは私の任ではないと思う。

 家で腐々しているのも嫌だが、この暑さの中、歩きに行くのは熱中症が心配だし、何より、すでにバテている。たまには身体ではなく頭を使おうと思って地元の公立図書館に行く。

 よくインプットという言葉を使う人がいるが、私は知的なことにインプットという言葉を使うのは嫌いだ。もし、プロセスなりトランザクションなりを経たとしても、インプットがアウトプットに直結しているのなら、それは未消化なコピペである。

 さて、図書館に行って読む本に困った。久しぶりに小説でも読もうと思うが、流行りの作家の小説に目を通しても食指が動かない。最近、読後感が嫌なミステリーを指すイヤミスという言葉があるというが、私は、そんなものを求めて本を読むのではない。

 駄目を自認する私は、端っから大江健三郎など読もうとは思わないが、レベルが違っても高みを目指す硬派な純文学を読みたいと思っている。

 そのような中で見付けたのが村松友視先生だ。私が友視先生に抱いた感想は、今、見ると拙いが、昔も文章にしている。(画像は参考で、読まなくても、このエントリーは解ります。)

f:id:urigayatsu:20180703203131j:plain

下の名前を公開しているため、個人を特定されないように掲載誌は明記しません。


 村松友視のベストセラーといったら、夏目雅子さん主演で映画化もされた時代屋の女房』だろうか。

 友視先生の軽妙洒脱なものを読もうと思った。本人曰く、文学の神様の方を向いて書くか読者の方を向いて書くかの違いだそうだ。そして借りたのが『大人の達人』だ。

 そして、もう1人、読んでおきたいと思う作家がいるのだが、名前を忘れた。名前以外には女子大生作家で夭逝した人ということしか記憶にない。よく、漢字なんかをド忘れすると、考えたって出てこないという人がいるが、私は違う。

 スマートフォンからネットで検索しても出てこなかったが、思い出した。鷺沢萠(さぎさわめぐむ)さんだ。夭逝したというイメージがあるから、ずっと昔に亡くなったのかと思ったら、2004年とのこと。

 私は病気のせいか薬のせいか環境のせいか、記憶というものが非常に当てにならないので、当時、何をしていたのか、自分の履歴書を繰ってみた。32歳で、サラリーマンを辞めて2年目だった。よほど精神を病んでいたのか、悼んで作品を読むどころか、亡くなったニュースを耳にした記憶もない。

 文化的なことに金を使っている東京都港区だが、残念ながら、高輪図書館に鷺沢さんの小説はなく、エッセーが2冊あっただけだった。両方とも閲覧室に持ち込み、姿勢を正して読み始める。

 しかし、図書館で読もうとしても、まったく捗らないのだ。

 最初は、隣の席で、新聞と辞書を何十冊も持ち出しているのに読んでいない人を見て不愉快なのだと思い、席を替えた。しかし、どうも落ち着かない。すぐに、この張りつめた空気のせいなのだと悟り、行きつけの喫茶店に持ち込んで読むことにした。

f:id:urigayatsu:20180708172220j:plain

 

 私の行きつけの喫茶店は、ブルーボトルコーヒー創始者が参考にしたとかで、半ば観光地化していて、よくいえば賑わっているが、煩い。もっとも、客がいないときでも、常にケーキ作りのための電動泡立て器が回っていて静かではない。それでも落ち着くのが妙なところ。

 写真の、いちばん上にある『私の話』は、「身の上話」を書く私として、じっくりと読みたいので、あとで家で読む。今日、喫茶店で読んだのは、これ。

この惑星のうえを歩こう

この惑星のうえを歩こう

 

 

 少し前に、「大人って単純。」というエントリーをアップしたが、本著に「零下十度のミニスカート」という、ミニスカートのキャンペーンガールを見て表情が緩む男たちの話がある。

 零下十度というのは、筆者が訪れたときのソウルの気温で、なんで、そんなに寒いのにミニスカートを履く必要があるのかという疑問が話の発端になっている。

 国を問わず世の男性は若い女性の太モモが好きだ、とか、そういう話をしたいのではない。それはそれである程度の真実だろうが、零下十度の寒さの中で男性たちが見せた一瞬の表情のほころびは、「好色」などの単語よりかは、むしろ「安堵」という単語と結び付けたくなるようななにがしかを内包していたのである。まるでそれは、雪山を彷徨っている遭難者が一軒の山小屋の窓からこぼれる暖かい灯りを目にしたときのような。

 ―――ああ! なるほど……!

 私は思った。

 (以下略)

 

 私が「単純」と括ったことも、筆者は考察を加え(「なるほど」「思った」と書いているから、悟ったというべきか)腑に落ちる説明をしてくれている。(どういう説明かは、自分で本を手に取って読んでください。)

 私が文芸作品に求めるものは、そういう解りやすい説明だ。その説明に納得がいき、留飲が落ちる。

 私が、今、「身の上話」で書こうとしているのは、まさにそれだ。私は、自分の現状に納得がいかない。では、その原因を突き止めてみようという取り組みだ。

 この話に限らず、なかなか、なるほどと思う話ばかりで、喫茶店で、まるまる1冊、読んでしまった。混んでいる店内でコーヒー1杯で粘るのもな… と思ってコーヒーも追加で頼んでしまった。

f:id:urigayatsu:20180708172221j:plain

 

 コーヒーで腹はタッポンタッポンだし、金も使ってしまった。実は、この喫茶店の近所に、やはり行きつけのバーがあり、昨日から七夕特別営業をしている。後ろ髪を引かれる思いで帰ってきたが、今から行っちゃおうかな…。