身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

自分に対する怒り。世間に対する怒り。

 今日も渋谷から歩いた。お台場に歩きに行っていたときは2万歩、歩けたのに、今日は1万歩しか歩けなかった。

 恵比寿で喫茶店に入ることを楽しみに、とりあえず恵比寿まで歩こうと思い歩き始めた。

 関東は梅雨明け。暑さで参っていたこともあるので、本当に疲れていたのか解らないが、予定していたことなので喫茶店に入った。

 そうしたら、まだ余力が残っていることを自覚して、自分って駄目だなと思った。そこから家まで歩きながら、自分に腹が立った。

 とにかくダメな自分に腹が立った。駄目なら駄目なりに頑張るを是(モットー)にしているのに、全然、頑張れていないではないか。

 駄目な自分を自覚して、それで人並み以上の努力をしようと決意をしたのに、人並みの努力もできていないではないか。

 そうそう、相変わらず、Facebookで、自分を駄目だと書くとネガティブだと非難する人が多いので、すべて友達から外した。

 そして、友達を外せてしまう、意外と過激になっている自分に気が付いた。牙を向けているのがFacebookの、かつての友達だけではない。

 数日前から、激しい電話に悩まされている。私が、その人の動画をYouTubeにアップしたというのだが、私は全く身に覚えがない。

 しかし、その人の動画ファイルが、いっとき、私の手元にあったのは事実だし、私は意識なく物を盗ってしまうこともあったのも事実だ。

 なので、全否定はできなくて、その点は、申し訳ないとは思う。しかし、私に電話を架けてきて、どうしろというのだ。

 私が何の用かと訊くと、迷惑しているという。何に迷惑しているのかと訊くと、自分で考えてくださいと言う。

 それが1回・2回だけでなく、1日に何十回だ。私に何をしてほしいのだ? 自分で考えてくださいでは進展がない。

 まぁ、私に削除してほしいと言われたところで、アップロードした覚えがないのだから削除しようがないのだけど、それならYouTube著作権侵害だと申請すればいい。

 どうも、私への頻繁な電話が、単に嫌がらせにしか思えないのだ。

 こういうのを本当にネガティブというのだろうが、歩きながら、今までの嫌なことしか思い出せない。

 例えば、明日、アルバイトの面接を入れた。最低賃金(国が定める最低の賃金額)で交通費の支給もないというアルバイトだ。

 力を抜いてリラックスして面接を受ければいいし、受かったら、自然体で働けばいい。解ってはいる。

 しかし、そこで、また、病気の症状が出て仕事が長続きしない自分に腹が立つ。今日は、ここで、怒りが他人に向く。

 万引きで捕まって裁判に掛けられた時のことを思い出す。検察は、私の経歴を、飽きっぽく職を点々とし… と弁論した。

 何事も表層で捉え、自分たちに都合が悪い背景には意図的に目を向けない。

 検察の事情聴取で精神病について訊かれたことは訊かれたが、それで言われたことは

 「統合失調症でなくて良かった、アレは有罪にできないからね」

だ。

 Facebookでは善悪の判断が付かないだけと書く奴はいるし、当時の担当医も、店の人は商品を売った利益で生活しているのですよと小学生でも解ることしか言わない。

 もう、そういうことを考えると、すべてが悪意でできている気がする。Facebookでのことも、努力する私の足を引っ張っている思えてくる。

 もう、そんな非常に腹立たしくなるが、そんなときこそ他人の優しさが身に染みる。優しさかかどうか知らないが、こんなことも思い出した。

 なにかで、五木寛之先生が、頑張れるというのも才能かもしれないと書いていて、そういうことにも救われた。頑張れなくても赦してくれる気がした。

 あの先生は、エッセーで心が第一のようなことを書いておきながら、小説は物欲だらけで俗っぽいと非難されるが、それも、実際に所有できない物を小説で入手した夢を見させてくれているのではないかとさえ思える。

  ここで、ふと思う。五木先生の小説を好意的に捉えられたのは、やはり、五木先生のエッセーでの発言からだ。

 同様に、Facebookでも、私のような人が、そんな下らない犯罪を犯してはいけないと書いてくれた人もいた。私のような人… 有難いです。

 そして、表現の大切さを身に染みて感じる。また、文芸作品をはじめとする芸術作品の偉大さも知る。

 富山の警察官刺殺・警備員銃撃事件の一報が入ったとき「アルバイト先でのトラブルで腹を立て」と報道したメディアがあった。

 なんか違うと思ったら、後になり過去の境遇に目を向ける報道が相次いだ。

 私が掛けられた裁判でも、何の打ち合わせもしていないのに、私を弁護した中年の国選弁護士は、被告は高校を退学しながらも大検を取り進学する前向きさを持っていますと弁論し、泣きたくなった。

 世の中に対して腹を立てていたのに、ちょっと、それで心が穏やかになる。作家・五木寛之Facebookの友人、私の弁護をした弁護士。

 見方(アングルという意味ではなく敵の反対語)って大切だなと思う。そういう、心に寄り添う作品を書く文学者が、私は好きだ。