身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

Dying Happy. (エンタメ挿話付き)

 今回は、急遽、本題とは、まったく違う話を挿入します。本文はエピソードの後です。

 

挿話 (「コンフィデンスマンJP」の感想)

 軽妙な話が好評なので、少し書こうかと思う。酔っ払ってタクシーに乗ると、なぜかタクシーの運転手に歓迎される不思議。

 さて、昨日は、念願かなって、やっと「コンフィデンスマンJP」をライブ(リアルタイム)で観た。

 長澤まさみさんを美人って書いたの、やっぱり撤回していいですか(笑) というのは冗談です。演技が上手いし。でも、戸田菜穂さんも出ていたし、ひょっとして猫背椿さんも出ていた? 長澤さん霞むなぁ。

 やっと最終回になって、以前、書いた、コンフィデンスマンって本当は地味な詐欺師なんだよという話が説明された。

 コンフィデンス=信用というのは、相手を信用させるのではなく、会社の信用情報(Credit Standings)などを操作すること。

 スポンサーが豊田通商だったので思わず笑ってしまったが、昔、豊田商事がやったように、実績がない会社の株を売り抜けたりする。

 劇中に出てきた松戸の児童養護施設って、建物こそ違えど、私の実家に隣接してあった養護施設ではないのかと疑ってしまうほど、私のテリトリーと被っていて楽しい。(でも施設から通っていた友達を思い出してしまった。)

 しかし、事実は小説より奇なりという言葉があるが、人生というのは小説のような何かに乗せられているのかもしれないと思った。

 本作「コンフィデンスマンJP」もハイテンションで、映像を取って台詞だけ抜き出して聞けば、おそらく小学校の学芸会の以上に白々しいと思う。

 何度となく書いている、その゛白々しさ”。それを解っていても乗せられる、それもまた才能ではないかと思う。騙される才能。夢を見る才能。

 踊る阿呆に見る阿呆ではないが、私は、人生においても、楽しく踊る阿呆でありたい。なかなか楽し踊る才能がなくて、暗い文章ばかりになってしまうが。

 直木賞がエンターテインメントの新人賞でなくなってから、こういう、楽しく踊らせてくれる人が、どんどん活字からTVに流れている。

 TVがラジオを駆逐したように、ユーチューバーというのが出てきたのだから、ネットがTVを追いやるのも時間の問題だ。

 昨日、東京は変わっていないと書いたが、文明は大きく進化している。文字を活字ではなくデジタルで読む時代が来たのも思ったより早かった。

 

本文 (Dying Happy)

 同名の映画があったので調べてみたら、緩和ケア(ターミナルケア)の話だった。幸せにというより、安心してとか穏やかにといった感じだろうか。

 さて、当エントリー掲題は、アーウィン・ショー『夏服を着た女たち』("The Girls in Their Summer Dresses" by Irwin Shaw)を読んでいて"a happy married man"という表現がが出てきて考えた。

 私は結婚はしていないので、幸せな一生とは、どういうものか考えた。過去に「悲惨な人生。」というエントリーをアップしたが、それと似たようなものだ。

 最近、幸せについて考えることが多い。しかし、幸せについて考えるとき、いつも思い出すのが明石家さんまさんが出演する「ポン酢しょうゆ」のCM。

 

 この曲を聴くと、幸せって意外と単純なことかもしれないと思うが、私は幸せだなぁと実感したことは、あまりない。

 それが、先日、あったのだ。単純に、友達に、優しいねといわれたこと(笑)。なんかね、しみじみというのだ。Facebookメッセンジャーでいわれたのでニュアンスは定かではないが。

 私は他人に何かを与えられるほど偉い人ではないし、博愛の精神も持っていない。そのためか、たった1人に感謝されて、ものすごく嬉しい。

 そして、今、死んでも後悔しないなと思ったわけ(笑)。幸せな日常だけでなく、幸せな人生というのも、意外と単純なのかもしれない。

 結婚をしない、家庭を持たない選択をして、友人には辛い選択といわれるが、本当、その程度の幸せでいいのだ。