身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

向上心に伴う苦痛。

 昨日書いたアクセス数の推移だが、だいたい、記事を書いて即日か翌日には読まれるのに、昨日は1日置いてから読まれている様子。ゴールデンウィークと関係があるのかは不明だが、滞在時間が伸びたのは、純粋に嬉しい。

 今日も汗をビッショリかき疲れ果てて目が覚めた。汗は布団にまで染み込み、それは煎餅布団になっている。身体も汗でビッショリで汗臭い。布団までも汗臭いというか煮詰まって小便臭に近くなっている。

 もう、この辛さに慣れてしまったということがあるのかもしれないが、辛いという以前に思ったのが「惨めな生活だよなぁ」ということだった。しかし、私は、この環境に甘んじているわけではない。

 数年前、心臓が針の筵の上で転がされているような感覚を覚えていたときは、もっと悲惨だった。トイレに行くのもやっとで、身体が臭くなっても、その感覚が激しく下着を替えることもできなかった。

 医者に訴えたとこでゴロゴロしていたいための言い訳と言われ、苦痛を訴えても、のたうち回っている人がゴロゴロしている人より偉いとはいえない、だもの。苦痛なんて本当はないのに、口先だけで言っているのだろうというニュアンスだ。

 私は、怠け者とされることに非常に腹が立った。絶対に回復して、怠けているのではないことを証明してやるんだ。転院を決意した私は、方々のクリニックを当ったが、ことごとく受診を拒否された。そして、クリニックが駄目ならと大学病院に行った。

 大学病院の医師は、研修医や、私の付き添いの区の福祉士がいた初診のときは、私の話をよく聞き丁寧に診察する”ふり”をしたが、その次の診察で「同じ閨閥の医者の患者は診れない」と言われた。

 最初から診る気はないのである。こちらは心臓が針の筵の上で転がされているような感覚に耐えながら、電車を乗り継ぎ大学病院に行くのに、それを1回でも少なくするより、研修医たちに対するポーズの方が大事なのだ。

 親から医者を替えるなという脅しが来る。親も、医者に「痛い処」を突かれた=私がゴロゴロしたくて言い訳をしていると断定しているのだ。今、これを書きながら口惜しさが蘇るほどだ。この辺は次のエントリーと被るので割愛する。

 

 

 ネットストーカーについては上記エントリーをアップした後に進展があり、停職にしたものの改善が見られないということでクビになったとのこと。しかし、私の本名を調べ上げ、顔写真まで手に入れて公開するなんて不気味だ。

 さて、ネットストーカーがいるのにネットの相談サイトに噛り付いていたのは、妥当な意見をくれる人たちがいたからだ。医者も公的機関も当てにならないのに、そこには、親身になって相談に乗ってくれる人がいた。

 これも繰り返しになるが、中には相談サイトには功名心でやっている人が多いから2ちゃんねるがいいよという人もいて、自分たちがやっていることを否定してまで私の意に添うようにしてくれる理由を訊いたことがある。

 そうしたら、病気を克服しようとしている前向きな姿勢を応援したいといわれた。私は単に楽になりたいだけだといったら、逆に、そちらを否定された。私の質問から根本的に病気を治したいという気持ちが滲み出ていたそうだ。

 私は、今の主治医に辿り着き、病状も、かなり良くなった。なるほど、楽になったからといって惰性で過ごさず、毎日、机に向かって物を書いている。しかし、それは非常に苦しい。

 もし、物を書くのを止めたら、もっと楽になるだろう。実家で、ぐっすり眠れたのは、気楽な来客だったためだと思う。物も書かないし、当然、このBlogも内容があるエントリーはアップしていない。

 苦しいのは、病気を良くしよう、生活を良くしようという気持ちがあるからだ。かといって、ボーッとした受け身の生活をすることは、私には不可能だ。どんなに苦痛があろうとも、よりよい生活をしようという気持ちは捨てることができない。

 

…なんか、今日も独りよがりの文章になってしまいました。読み返しながら、本当は楽なりたいと思い、ダメじゃん自分って思っています。