身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

苦悩。

 早朝にビッショリ汗をかいて肩がパンパンに張って目が覚めた。しかし、身体が動かず昼近くまで起きられない。汗で寒いまま横になっていることになる。そして、起き上がるころには、疲労で目が落ちくぼんでいるのが判る。

 昼近くまで起きられないので、勤めなど到底できない。そう思うと、非常な恐怖を覚えた。特に私は、これといった一芸があるわけではない。勤めがなければ収入を得ることができない。しかも、もう20年近く無職だ。

 昨晩、私は編集者の試験を受ける夢を見た。文書校正をする夢だった。これは、最近ネット配信で観たTVドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」の影響もあるのだろうが、かつて、アルバイトで編集者をしていたことが大きい。

 アルバイトしていたのは、コンピューター出版の会社だった。マイクロソフトの出版社、マイクロソフトプレスの代理店で、私はMicrosft Officeのマニュアルの動作確認が主な仕事だった。

 20年前のことなので、はっきりとは覚えていないが、アメリカ本国のソフトを使い動作確認し、アメリカで発売されたソフトと日本で発売されるソフトの動作を比較し、マニュアル通りに日本語化されているのか検証する仕事だった。

 私は、もともと文芸の編集者になりたかった。しかし、大学を出ていなかったため新卒で取ってくれる会社はなかった。そして、英語ができるということで潜り込んだのが、そのコンピューター出版社だった。

 ちょうどMicrosoft Office 97が発売されるときで、編集部は多忙を極めていた。マニュアルという性格上、書籍も同時に発売しないとならないからだ。そして発売されると、それは十万部単位で売れた。

 載る載らないはデスクの判断によるのだが、私の名前も「Access 97 オフィシャルマニュアル」という本に載った。また「ハイパーリファレンス」という本の帯に「一目瞭然」というコピーを書き、それは版元が変わったら正式書名となった。

 私が自殺未遂をして無断で何ヶ月も休み解雇されたのは、そんな矢先のことだった。出版ラッシュも一息つき、編集長が私に編集の手ほどきをしてくれようとしていた。それなのに、どうして自殺未遂などしたのか。

 私の過去の診療録を見るとリストカットの経験ありなどと書いているが、私は、生まれて今まで、そのようなことをしたことはない。こういう言い方が変だが、死ぬときは本気だ。そのときは、文芸の編集ができないのなら死にたいと思った。

 私の親は私に無関心なので、自殺未遂をしても1ヶ月、発見されなかった。意識が戻った私は、自分で病院に行った。医師には、自分で病院に行ったということは、本当は生きたかったのだと言われるが、どうだか。

(ここまで書いて、我に返ったというか冷めた。)

 つまり、こういうことだ。あのまま、出版社にいて編集という技術を身に着けていたら、それで食べていくことができたのではないかということだ。編集者という仕事は出社しないでもできることが多く、定時に出社することは、あまりない。

 そして不安を煽るのが、今回の山口達也氏の書類送検だ。いっちゃ悪いが、たかだか書類送検だ。起訴されたわけでも、まして、有罪判決が下りたわけでもない。私など、拘留された上に有罪判決を受けたし、拘置所では常習犯が沢山いた。

 有罪判決を受けても、そんなに生活に変わりがないということは、失うものが少ないからだ。山口達也氏のことが、これだけの事件になり、山口達也氏の人生が終わったような報道がされるのは、それだけ持っている物があるからだ。

 山口氏はTOKIOに戻りたいと話しているのを聞いて、私は甘いなと思った。しかし、自分は、どうなのか。常に失うことの恐怖は感じているとしても、家賃のかからない住居に住み、勤めなくても食っていけている。

 これらを失うのが怖いというのは、やはり甘えているのではないか。そして、山口氏が芸能に励み練習してきた間、私は何事にも歓びを見出さず、その専門性を高めることをしてこなかった。

 私の職歴は、ずっと貿易実務で埋まっている。このように、アルバイトで編集など他業務が入っているが、まぁ、ずっと英語を使う仕事をしてきたといっていい。しかし、英語力を維持し高める勉強をしては来なかった。

 私は高校のとき、英語の偏差値は30だった。しかし、国語の偏差値は70を優に超えていて、同じ言葉なのだから英語だって理解し得るはずという理念を持っていた。もともと国語が好きで文学者になりたかった。そして、英語の専門学校に進んだ。

 専門学校では、最終的には上から3番の成績になった。やはり、私の考えは間違えていなかったと思った。その専門学校は単位が大学互換で、大学の3年次に編入できた。私も、大学に進み、そのまま残ろうと思っていた。

 私は朝から晩まで机に向かって猛勉強したのだが、それを、親は、勉強なんて嫌いなものに決まっているのだから、机に向かってボーッとしているに決まっていると言い、編入できたら大学に行かせてやるという約束を反故にした。

 文学者になる夢や勉強をする生き甲斐を失った私は、それからの人生の半分を抜け殻のように過ごしているといって過言ではない。そして、このまま生き甲斐を持てないのなら死んだ方がマシと、何回か思ったのだ。

 今回、山口氏を見て、甘いなと思うと同時に、世間を知らないで、それだけやってきたことへの羨望のようなものを感じた。嫉妬はなかった。そして、最近、やはり腕いっぽんで生きている女性に惹かれたりする。

 私に必要なのは、生きる歓びである、遣り甲斐のある仕事だ。それ以外のことをやると、本当に死ぬ。そして、嫌いなことも好きなこともできない現在は、寝ると大汗をかき肩がパンパンに張って早朝に目が覚めるのだ。