身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

精神障害者がヘルプマークを持つということ。

 完全に鬱の期間に入ってしまった。何もできなくて、ものすごく苦しい。ただ、このBlogを始めた当初の目標に、精神病に関する知識の啓蒙というのを掲げた。

 昔のアメブロYahoo! ブログにあったような泣き叫んで同情してもらうBlogではないので、苦しさについても客観的な表現にするよう心掛けたいと思う。

 

 今朝、目が覚めて、何の感情も起きなかった。物撮り(ブツ撮り=静止物の写真撮影)を始めた。使わない物をネットで売ろうと思ったのだ。億劫だとは思わなかった。

 しかし、撮影どころか何をしているのか判らない。まるで寝呆けているかのように、どのアングルの写真を撮ったのか忘れているし、設定が滅茶苦茶。

 最初は細かい作業ばかりを何日も続けたから疲れているのだろうと思った。銀行の店頭まで出向かないと足せない用事があり、気分転換に、そちらに出掛けた。

 

 すぐにバスが来たが混んでいて、それでも3停留所くらいで座ることができた。座れないだけで、これだけイライラするのが、今になって考えると鬱だ。

 銀行でもイライラ。初めて来る銀行だったのだが、都市銀行は、どこも同じと思っていたのに、違うところ(ダメなところ)が目についてはイライラする。

 制服がない、上司と部下が顧客の電話番号を来店している客に筒抜けで読み合わせをしている、いちいちメインの金庫を開けず机上金庫を利用している…。

 

 とにかく些細なことにイライラする。その後、新宿で所用を足したが、せっかく出てきたのに寄り道をする精神的余裕もなかった。

 せめて来た道と違った道で帰ろうと思い、明治通りを通って帰ったら事故で30分の渋滞。このときもバスは座れたが、発狂するかと思った。

 閉所が怖いというのとは違う。大勢の前での緊張が、さらに強まっている感じ。携帯電話で気を紛らわせようにも、むしろジレて投げつけそう。

 普段は風景が好きで面白い光景などを見ると写真を撮ったりすることもあるが、そんな余裕は一切、ない。

 そもそも、目に見えていることの1/10くらいしか認知できない。事故現場を通過したはずなのに気が付かない。原宿を通ったのにオシャレな人が目に入らない。

 空いているバスだから良かったものの、もし、そのバスが混んでいたら、今日のように1時間も乗っていたらワーッとパニックになっていたと思う。

 可能な限り心に余裕を持たせなければパンクしてしまう。何をするか解らない。大袈裟ではなく、席に座れなかっただけで大量殺人を犯すかもしれない。

 

 1回、本当にパニックで何かしそうで、席を譲ってくれと言ったことがある。そうしたら、外見は健康なので、内部障害って嘘でしょと言われた。

 障害者手帳(ちなみに精神障害2級)を見せて説明しても、座っても肉体的に楽になるだけで精神とは関係ないと言われた。

 さすがに、他の人が席を譲ってくれて、その人が居づらい雰囲気が広まったが、それでも私を非難する人も多数いて、むしろ反発心を強めた。甘やかすなという感じ。

 精神に障害がある人には、肉体的苦痛は精神的苦痛にもなります。苦痛が原因で犯罪を犯す精神状態にもなります。お願いです理解してください。

 

 私の場合、今朝、起きたとき、何かが面倒とかいう悪い感情だけでなく良い感情も起こらなかったので、その時点で鬱だと気が付くべきではあった。

 何をしているのか判らないのも、それは疲れていたとか飽きたとかではなく、つまり「効率が落ちた」のではなく「できなくなった」のだ。

 感冒でいえば、ダルいけど熱が出ていないからと身体を動かして、動き始めてから高熱を出してしまった感じ。やはり、軽微なうちの対処が大切だ。

 ここで無理に酒で気分を上げようとすると、過去に書いたように気分が高揚するのはいいけどアル中になる逆に相乗効果で体調を崩すかで、良いことはない。

 

 

P.S. 皆さまのBlogを読んでいる余裕がありません。体調がよくなったら遡って読みますので、ご容赦ください。