身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

11万円の携帯電話から機能の存在を考える。

疲れが取れず体調が悪いので、機嫌が悪い子供みたいに言葉がキツいのはお許しを。

 

 

 発表になったiPhone Ⅹの値段を見て驚いた。メモリーが少ないモデルでも価格が112,000円とのこと。キャリアによっては半額で提供と書いてあるので読んでみると、新車に半額で乗れるというのと同じで、簡単にいえばリースだ。

 最近、こういうデジタル家電(ガジェット)の高価格化、それの売れ行きというものが気になる。私は元々、光学機器メーカーに勤めていたのだが、半導体不況の影響で、一番売れる製品が産業機器からコンシューマー向けのカメラになった。

 単に他のものが売れなくなったというのもあるが、高価なカメラが、よく売れるのだ。今でも機種によってはレンズを付けると50万円もするカメラが品薄で手に入らない。ビジネスチャンスと見て家電メーカーなどが参入したのは見てのとおりだ。

 私はFacebookで某カメラメーカーのユーザーサークルみたいなグループに入っているが、ほとんどの人が使っているのは5・6万円の旧製品。私も外に出ないで「ほぼライブ」を撮るときと遠出をするとき以外は、その程度のカメラを使っている。

 プロの写真家に何人か知り合いがいるが、何世代も前の入門機を使っている人が多い。彼らは意外と新しいものに手を出さない。新機能の知識もない。使い慣れたものがいい、作品に影響しない、元が取れないという理由を多く挙げる。

 他方で、撮影にオモチャみたいなカメラを持っていくと軽く見られるという話も聞く。重くなるから嫌なのだけど、ハッタリだけのためにバッテリーグリップを付けるという写真家もいる。プロは高機能なものを使うべきだと思われているらしい。

 

 高価な製品を持ちたいという人の心理は、その辺なんだろうなと思う。高機能な製品をもってプロを気取りたい。しかし、その高い機能や品質を使いこなしているアマチュアは、出回っているカメラの量に比べて僅かだ。

 この前、花の名所に遠出をしたら、バッテリーグリップが付いた大きなカメラ(2㎏くらい?)に1㎏以上もするレンズを何本も持ってきている人が多数いて、交換するのに、いちいち地面に置いている。設定にも10分近くかかっている。

 東京にいると新聞社の報道カメラマンを見ることが多いが、彼らも、ほぼ同じ装備なのに、俊敏に機材を交換・設定しャッターチャンスを逃がすようには見えない。使い慣れているし体力もある。腕が機材に伴っている。

 携帯電話も同じだ。私は、決してヘビーに使う方ではないが、私の元には毎日のように携帯電話が持ち込まれる。アプリが起動しないなどだ。原因は、初期設定がされていないなんてこともザラだ。そんな人が街中でササッと使えるわけがない。

 自分が使いたい機能が使えないのだから、メーカーのプッシュで提供されている機能など使っていないと思う。私はひと通りは試すが、使えないと思うと、省電力化のために使わない機能をOFFにするしプリインストールされているアプリも削る(ちなみにAndroid)。

 

 文章が長くなったが、結局、使ってもらえない機能でも、高スペック・高性能が売りなんでしょと思う。勝手な想像なのだが、ブランド志向に近いものではないのかしら。高いブランド物の洋服に似ていると思う。

 今は死語になったが、カメラがまだフィルムだけだったころ「スペックユーザー」という言葉があった。カタログに載っているスペックが高いものを買う人のことだ。スペックには価格も含まれるかもしれない。

 今はカメラが違えば写る写真も違うが、フィルムの時代は、カメラが違っても、同じレンズを付けて同じフィルムを入れれば、原理的には撮れる写真は同じだった。だからなおさら、そういう言葉が使われていたのだろう。

 

 物にこだわるといわれる私でも、カメラや携帯電話は、自分が使える範囲のものを選びたいと思う。個人の価値観の問題になるが、私は、着こなせない洋服のように、高価でもスマートに使えないものを持つのはイケていないと思う。