身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

酒は謎よ。

 飲んでいる。だんだんと頻度が上がっている気がするが、それだけ辛いということだ。

 さて、「酒は謎よさかしらの友」という言葉を知っている人気は、おそらく昭和40年代の受験生だ。私も教師から聞いて知った。

 「さ」「け」「は」「な」「ぞ」「よ」「さ」「かしら」「の」「とも」という終助詞の一覧である。「あり・をり・はべり・いまそかり」より気が利かない言葉だ。

 さて、酒を飲んでいるとツマミが欲しくなる。若いうちは塩で飲んでいたが、これだけ弱くなると、そうというわけにいかない。

 酒のツマミというのは変な存在だなと思う。酒の肴は旨いものとはいうが、酒を飲まなくても旨いものでも「酒に合わない」というものがある。

 いったい、酒の肴に対する「旨いもの」の基準は何なのか。なかなか不思議である。

 ちなみに今日は外で飲む余裕がないのでコンビニの冷凍肉食品で、それに辟易して早々にカップ麺で絞めてしまった。それでもベロンベロンだ。

その思い出だけで一生過ごせるということはあるのか。

 眠剤のせいで、夜は午後11時に寝るのに目が覚めるのは午前10時、起き上がるのは正午すぎという毎日を過ごしている。

 そのようなボンヤリした頭で観ているので、実際に、それに絡むエピソードが出て来たのかどうか覚えていないが、NHK朝の連続テレビ小説「エール」を観ていて、掲題のようなことを考えた。

 私自身、戦死みたいに苦しんだり不自然に死ぬのは嫌だが、別に死ぬことに対する恐怖というのはない。そこで自分が生きる意味というのを考えた。これといってないな… というのが正直なところだ。

 私にとっての楽しみは何か。せめて行きつけの喫茶店でボーッとしている程度である。もう、体調的に旅行に行けなくなって久しい。実際、20年ほど行っていない。こんな生活が続いたところで悔いなど残るはずがない。

 他方、成し遂げたということもない。ちょっと前に「キラキラ起業女子」の間で本を出版することがゴールだと聞いたことがある。起業と出版の関連性が判らないのだが、以前も書いたように文章というのは書きたいものがある人が書くものだ。

 今後、書きたいものが出てくる可能性はあるが、本こそ出していないものの、書きたいことは雑誌やWebなどに書き尽くした気もする。かつては写真なども評価されたものの、写真を撮る気もしない。

 将来に希望が見いだせなくなると、視線は過去を向く。ある作家が、キラキラした一瞬があったら、それを拠り所にして生きていけると言っていたのを聞いたことがある。自分の中に、そういう良い思い出というのもない。

 まぁ、昔は旅行に行けてはいたので旅先での楽しい思い出というものはある。かといって、その一瞬があっただけで自分の人生は幸せだったというほどのものはない。そして、とりあえず楽しいこと… と考えて、酒を飲むくらいしか思い浮かばない。