身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

休養すべきか。

 今日は利用している精神障害者地域生活支援センターが施設点検のために休み。新宿にあるカメラのサービスステーションに行こうかと思うが、寓居の上空をヘリコプターが飛ぶ音がする。今日は天皇即位の祝賀パレードだっけ。

 熟睡したものの、手足が冷え切って、寒い。熱い風呂にでも入ればいいのだろうが、私は風呂の掃除ができないので湯船を使えなくしてしまった。それに、かじかんで、シャワーを浴びる気がしない。

 昨日、書いたように、このBlogのGoogleアナリティクスのレポートを見たのだが、そのデータに愕然とした。リピーターでさえセッション維持時間が30秒もない。リピーターのセッション維持時間は最高で6分にも及んでいたし、どんなに少なくても1分を切ったことはなかった。

 疲弊しきっているのだと思う。このBlogも、しばらく休んで、読書や外出などをして気分転換をした方がいいのだろう。判り切っているが、この精神状態では何もできない。また、気分の落ち込みも激しい。精神障害者地域生活支援センターの職員に自戒の念が強すぎると言われたが、客観的なデータを見れば見るほど、それは強くなる。

 せめて食費をケチろうと近所のドラッグストアに買い物に行ったら、こちらも施設点検で休みだった。青息吐息。

記憶の持ち。

 昨日、あんなエントリーをアップして、アクセスがガタガタだろうなと思ったら落ちていない。自信を持ってアップしたものは読まれるし、その逆もある。自信を持ってアップしたものが読まれないとガクッと来るが、逆に、昨日のようなエントリーが読まれていると薄気味が悪い。しばらくGoogleアナリティクスを見ていないので、後で見てみよう。

 最近、やっていることが滅茶苦茶だ。朦朧とした頭でネットでポチることが多い。犯罪を犯して(二重形容?)しまったとき、検事に、朦朧として、そんな高度なことができるはずがないと言われたが、今回も、海外のサイトで買い物をして英語で遣り取りしていたり複雑なことをしている。しかし、検事というのは、キミは嗜好品って言っても判らないよねぇなどと言うし、なぜ裁判官や弁護士より態度が尊大なのだ。取り調べる人間の性か。

 今日も、カメラを携えて無理をして外出をし、カメラのスイッチを入れたら電源が入らない。書いた気がするが、このカメラは買い替えたばかりの物。以前、ネットのオークションで買ったものの程度が悪く、我慢して使っていたものの愛着が持てず、同じ機種を買い直した。古いものは再びネットのオークションで売ったが、買った値段の半額しか値段が付かなかった。しかし、私にそれを売った人みたいに、欠点を伏せて売るのは嫌だ。

 結果、バッテリーが入っていなかった。かといって家にバッテリーはなく、おそらく、売ったカメラに入れたまま送ってしまったのだろう。ちなみに買主から、それに関して何の連絡もなかった。その前にカメラを売ったときは、それは私が新品で買ったものだが、こんなに丁寧に使われているカメラを譲っていただき… というお礼のEメールを貰って嬉しかった。

 この前、落とし物を交番に届けたときも、若い女性の警察官から、落とし主が見付かりました、きっと喜んで電話を架けてくると思いますよと電話が来たが架かってこなかった。ただ、その女性警察官の声は喜びに溢れていた。期待はしない。期待をしないからこそ、そういうEメールや女性警察官の声を当然だと思わずに嬉しくなる。

 そして、英語で遣り取りしていたり、他にも色々と高度な(笑)ことをしているのだが、それらのことは、翌日になると、まったく覚えていない。そういう短期的なスパンではなく、長いスパンでも色々なことを覚えていない。幼馴染と話をしても、皆が覚えている20歳前後のエピソードを何も覚えていない。私が大好きな連続物のTVドラマでも前の週のエピソードを覚えていない。一話完結の物ならいいが、「ニッポンノワール-刑事Yの反乱-」など、どうしようかと思ったら、前話でエピソードの前にダイジェストが挿入されていて助かった。

 本なども読んだ先から忘れる。友人に言わせると子供のときの私は読書家だったらしいのだが、読んだ本の、ほとんど何も覚えていない。今でも、この前まで、あんなに夢中になっていた鷺沢萠作品の半分以上は忘れている気がする。忘れる前に書こうと思う。幸い、日記は、もう20年以上、付けている。読み直してはいないけど。近い将来、観ているドラマの感想などを書きますね。

難産、あるいは便秘。

 何も書く気がしない。昔、モノカキとして収入を得ていた時期は、こんなことはなかったなと思う。「#住みたい街、住みたかった街」などのテーマを貰ったら水を得た魚のごとく書けていたはずだ。ぜひウチに来てくださいと出版社に頭を下げられた、あの頃のことが遠い昔のように感じられる。実際、遠い昔なのだけど。