身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

電車遅延の思い出。

 台風一過といえど日差しがキツい。それを表現しようと写真を撮ったのだが夕陽みたいになってしまった。2枚目の写真のように空は快晴。浜松町にて。

f:id:urigayatsu:20190910163937j:plain

f:id:urigayatsu:20190910163954j:plain

 

 周囲の人と昨日の台風について話した。鹿児島の学校で教鞭をとっていたという人がいて、現地では台風が来るときは前日から休講にしていたという。また、家族に、仕事にならなくても職場に出ることが大事と言われたという人がいた。

 それで思い出すのは専門学校時代のことだ。原因は何か忘れたが、京浜東北線が止まっていた。第1限の講師は大宮に住んでいて、あぁ、今日は慌てて来ることはなかったな… と思ったら、講師は時間通りに来た。

 どうやって来たのかと思ったら、大宮から上野まで新幹線を使ったと言う。今日の話では、無理してくるのは日本人の国民性ではないかということになったが、その専門学校の講師はアメリカ生活が長い。

 その講師が新幹線を使ったと話したのは、たしか自発的だったと思う。それだけ時間に厳しくあるべきだと言いたかったのだと思う。この前、出席日数が足りなくて単位が貰えなかった学生のことを書いたが、その学生に不可を与えたのは、その講師である。

 もし私の勤務先が電車で行かなければならないところで、その電車が止まっていたらどうするか。時間より早く家を出ることはあっても、新幹線までは使わないだろうなと思う。あるいは前日から有給休暇としてしまうか。

 昨日、都内ではタクシーも拾えなかったそうだ。日本人の国民性というか、東京都民の県民性(都民性)かもしれない。しかし、そこまでして職場に行くのは、はたして美徳なのだろうか。ふと疑問に思った。

台風と逃げ道。

 おそらくニュースでご覧になっていると思うが、今朝未明、東京は台風による暴風雨の真っ只中にいた。寓居は北と西の2面がベランダに面しているのだが、窓が割れるのではないかと思った。

 それで、確認をしに行ければ安心できるのだろうが、眠剤が効いているせいか身体が動かない。かといって不安と恐怖で眠れない。そして、身体がやっと動くようになったのは、台風が過ぎてから。

 やっと這って見に行った窓は、もう何年も拭いていていないのに、風雨で綺麗になっていた。また、マンションのエレベーターも止まったようで、1階の玄関の外壁も剝がれ落ちていた。

 逃げられない。名コラム「自立とは『依存先を増やすこと』」を思い出した。障害者にとって、逃げ道のオプションは、あまりにも少ない。とにかく、今朝、窓まで這って行ったときには、すでに好天で、私は疲れ果てていた。今日は早寝をしよう。

 

Muggy!

 関東地方は台風上陸の予報が出ていて、昼、雨がパラッと来たので、このまま降り始めるかと思い帰ってきた。最も暑かったときに帰ってきたのに、まだ雨は降り始めていない。今年も残暑が厳しいが、私の感覚では、9月に入って最も蒸し暑かった。

f:id:urigayatsu:20190908174456j:plain

 

 こんな暑いのなら冷房の効いたビルの中にいれば良かった… と思うが、友人と、のんびり電話をしたり、オフならオフなりの過ごし方ができたので良しとしよう。

 今日の読売新聞の天気に関するコラム(筆者もタイトルも忘れた)で「靄」という言葉が取り上げられていたが、私も、このBlogも、モヤモヤしている。判っている。でも力が入らない。

付ける薬がない。

昼食

 友人と浜松町で食事。讃岐うどん「もり家」にて。目の前で打って茹でてくれる。以前、行った、ラーメン屋「七彩」のようだ。

f:id:urigayatsu:20190907191719j:plain

f:id:urigayatsu:20190907191736j:plain

 

 今日は無料でプリンが付いた。味は、饂飩が美味いのは当たり前だが、天婦羅が美味かった。

 

付ける薬がない

 そして、精神障害者家族会みなとバラの会主催「精神科薬物治療の基本 主として向精神薬について」を聴講してきた。講師は、なでしこメンタルクリニックの白石弘巳医師。

 聴講生が主に統合失調症患者の家族という前提での講演で、私は、どちらにも当てはまらないので(タイトルで、そう判っていたら行かなかった)病理・薬理は、どうでも良く、前半は、ひたすら退屈だった。しかし、次の話あたりから、急に興味深くなった。

 引きこもりの35歳男性が急に急に活動的になり遠方に住む知人に就職口を探してもらうと言って出掛け、「目的地に着く前に言動がおかしいと通報され警察に保護された」のだが、この医師は(家族は要望したようだが)入院させずにインヴェガジプレキサのみを処方したことろ、3ヶ月後、家族によると「おかしな状況はなくなった」とのこと。もし入院させたら薬が激増し、体調が悪くなったと感じ、服薬だけでなく治療さえ拒絶するようになっただろうと言う。

 また、「EE研究」というスライドを見せ、EEというのは"Exprtessed Emotion"の略で家族による感情表現の度合いらしいのだが、データも提示され、その調査(Vaughn氏による1976年のもの)の分類でEEが高く服薬していない患者の再発率は92%、EEが低くて服薬している患者の再発率は12%とのこと。

 EEの高低に限らず服薬している方が再発率が高く、逆に服薬していればEEが高い方が再発率が高い。悪くしないと思うことは大切だが、良くしようと焦ってプレッシャーを掛けるのが良くないとのことだった。

 それから後は、おそらく服薬の重要性ということで上の話から再び薬の話になるのだが、印象深かったのは、この医師が、これだけ家族の接し方を説きながらも、最後に、「子供が死にたいと言っています、いい薬はないでしょうか?」という質問が出たこと。

 白石医師は、それは病気の症状ではないので効く薬はありませんと言って、死にたいと言った患者が、それを口にしなくなるまでの話を1つした。そうだから、こういった勉強会が開かれているのだろうが、こういう講演を聞いた直後でも、まだまだ、家族の認識は、その程度なのだなと思い知った。

エアポケット。

 健康診断の結果を訊きに行けなかったりして、日中は、そこそこ忙しかった。メタボですね、痩せてください、あと、結果を渡しておきますから読んでくださいね、で終わり。前に診察室に入った人が、出てきて、私に、なんかねぇと言った理由が判った。

 その足で渋谷へ。バスで1本なのだが、行きつけの喫茶店で、一気に疲れが出た。それに忙しくて風邪が酷いことも忘れていた。そして、もう30分位いるかなと思って時計を見ると、すでに2時間。ぽっかりと穴が開いたような時間だった。

f:id:urigayatsu:20190906201650j:plain

 

 喫茶店についての本を持って来ていて、喫茶店で喫茶店の本を読むのは、なかなか面白いと思い悦に入っていたのだが、それどころではない。急いで帰途に就く。お茶の時間に来て、帰りはラッシュアワー…。

 しばらく、といっても数週間、来ないうちに、渋谷の町も変わっていた。109の看板? を降ろしているのは知っていたのだが、新しいロゴのものが取り付けられていた。そして、渋谷ストリームの手前(駅側)、渋谷ヒカエリエの向かいに渋谷スクランブルという建物ができていた。今日は、ここまで書いて午後8時50分。これにて失礼。

f:id:urigayatsu:20190906201715j:plain

f:id:urigayatsu:20190906201709j:plain

通院の記録。⑨

 今日は通院なのだが、相変わらず、朝、ワーッとなってジッとしていられない。表現としては「精神的アカシジア」といったところか。

 やたらとバスが空いているな… と思ったら、1時間も早く家を出てしまった。仕方がなくドトールで朝食を摂りながら読書。

f:id:urigayatsu:20190905185439j:plain

 

 本はInstagramにアップしたので割愛。1冊、読み終わる。そして昼も外食。居酒屋「天狗」に行ったのだが、今日から、一部、値上げとのこと。値上げになっていない日替わりランチは早々に売り切れ、同価格(650円)の「牛肉の鉄板焼き定食」を食べる。

f:id:urigayatsu:20190905185459j:plain

 

 隣の席の中国人が、大変な事態が起きているようで、大声で電話に何やら捲し立てながら、“カツとじ”に、お冷を入れて冷ましている。見ているこちらの飯が不味くなる。

 

 さて、通院だが、訪問看護を入れることになりました、その看護師の診察で発熱と肺雑があったので風邪薬を出してください、リスパダールが出て、少しはワーッとなるのが良くなっている気がしますと、考えていたことは、すべて言えた感じ。

 先生は、訪問看護の日程とかは決まったのですかと言うので、それは先生が指示するんじゃないですか? と言ったら、そうでしたと苦笑い。まぁ、多少は良くなっているようで良かったです、実家の方は動きがありましたか? とのこと。

 来週、また行かなければならないと思うと気が重いんですよね、しかし、母の散財などが、昨今読んでいる小説(有吉佐和子「紀ノ川」)に出てくる、配偶者を失くした後の主人公「花」の心理に似ているんですよね… と言うと、どういう心理ですか? と訊かれて答えられなかった。

 しかし、今日は、風邪が酷いので、もう寝ます。ろくなことが書けなくて申し訳ありません。処方としては、風邪のためにPLが出た以外は、まったく変わっていません。

幸せの形はひとつ?

 芙蓉かもと書いてInstagram(瓜ヶ谷のアカウントではなく私の個人アカウント)にアップしたのだが、拝読しているBlogに芍薬だと書いてあって間違いだと気が付く。 

f:id:urigayatsu:20190904142857j:plain

 

 訪問看護を入れることになり、保健師さんが第1候補の事業者を連れてきた。あらかじめ事業者の名前を訊いてリサーチを掛けていたら評判は悪くなく、代表者に難がなければ、そこに決めちゃおう! と思っていたので即決した。保健師さんは、そんなに簡単に決めちゃっていいの? といった感じだった。だって他を探すの面倒でしょ(笑)。その足で保健師さんと共に区役所に行って手続き諸々。

 しかし、ここでふと思う。私は行政の福祉サービスを使って十数年が経つ。それ以前は、使うことに気が引けていた。存在自体を、よく知らなかったこともあるが、自分の生活に行政が介入するというのは、なにかファシズム的な匂いがしたからだ。

 実際、使ってみると、利用者の意に沿う形でサービスを提供してもらえるのだが、当然ながら住居に困っている人は公営住宅が斡旋されるし、仕事に至ってはマニュファクチャリング的なことのみが斡旋される。嫌なら自分で何とかするしかない。食うに困るという言葉があるが、たしかに、食うに困ることはない。

 ここのところ生活保護について少なからず書いているが、一連の手続きで、日本国憲法が保障する最低限度の生活は、どの程度が最低なのか、判らなくなってきた。公共住宅に住んで単純作業する人は、医療費が3割負担ということで、あるいは医療費が無料の生活保護受給者より自由に使える金は少ないかもしれない。実際、そうだと思っているのは、既述の通り。

 サイバーエージェント藤田晋さんが、たしか私が大っ嫌いな幻冬舎の本で、団地だか社宅だか同じ建物の同じ間取りの部屋に住み、同じ会社で同じ仕事をし… ということが嫌だと思ったことがエスカレーターに乗らなかった理由というようなことを書いていた。しかし、やはり、行政が考える住民の幸せって、そんなものなんだよな… などと思った。

 衣・食・住が満たされれば、はたして幸せなのだろうか。しかし、最低限度は、やはり保障してもらいたい。と、こんなことを考えてしまうのは、私が、最低限度のそれも満たされていないからかもしれない。

無関心の対極にあるもの。

紀ノ川 (新潮文庫)

 

 読むのが遅い私は、やっと、有吉佐和子紀ノ川』を第二部まで読み終わった。そうも長くはないし、表現も平易なのに、1日に、1部、読むのが精一杯だ。歳で気力が衰えたのか。

 第一部の主人公も、第二部の主人公も、母と娘であるが、その表現は違うものの、気が強い点は血が争えない。第一部の主人公のそれがアンダー・ステートメントといった表現なのに対して、第二部の主人公は、派手な表現をする。そして、第二部の主人公・文緒は、冒頭から

避難がましく、あるいはまた驚嘆ともとれる囁き声が、文緒の背後にはよく聞かれた。ℙだが、文緒はそんなことに頓着するどころか、彼女に眉を顰めるものがあれば却ってそれを得意としていた。

 とある。

 昔、神田の専門学校に、あるいは丸の内の商社に、麻布や白金から颯爽と自転車で通う自分を演じていたことを思い出した。実際は金がないなどの無粋な理由で電車に乗れないのだが、東京育ちとして、武士は食わねど高楊枝的なセンスは兼ね備えていたと自分で思う。

 そのころは、本当に、非難する人を見下すように図に乗っていた気がするが、今の私は、一昨日、書いたように、自分の非を打たれれば、それを味方にするどころか落ち込んでしまう。かといって、放っておいてくれと言えないところが、私の甘さでもある。

 ここで思い出すのが、東大の理Ⅲに合格した高校の同級生だ。地頭というものがあるとしたら、入学時の成績も悪く、彼のそれは、むしろ弱い方に入る。しかし、自己顕示欲は誰よりも強く、同級生にも息巻いていたし、授業中も、よく挙手をした。しかし、教師に指されると、ビビッて武者震いをしてしまうのだ。

 彼は東大の理Ⅲに合格したものの、医学部どころか理Ⅰでも入れる学部にしか行けず、卒業するのも大変だったようで、やっぱり、と思わしめた。私は、卒業する前に高校を辞めているので、進学するときの彼の思いを知る由もないが、やっと教師に指されても平気だと思ったのではないか。

 最近、他の小説で、愛の反対は憎しみではなく無関心という言葉を目にし、私は腑に落ちた。実力の大小こそはあれ、けっきょく、「紀ノ川」第二部の主人公も、東大理Ⅲに行った高校の同級生も、私も、動機は他人に関心を持ってもらいたかったということだったのか…。

 

P.S. 知人の女性に有吉佐和子さんって知ってる? と訊いたら早世の美人作家ですよねと言われて驚いた。かつて、中学校の女性同級生に篠田節子先生を知っている? と訊いたら知っていて、また、「紀ノ川」第一部の主人公は、花嫁修業として、芸事の嗜みに加え、第二部中での夫の言葉を借りれば「女学者そこのけの学問」をしているとあり、女性というのは怖ろしいなと思う。

変な人に動じず。

https://www.instagram.com/p/B15EJlPg8l5/

 

 私は殊に変な人といわれるが、世の中の人は多かれ少なかれヘンだと思っている。しかし、今朝は、朝から立て続けに、そういう人を目にして(あるいは遭遇して)してしまった。

 行きのバスでのこと。ラッシュアワーの車内でベビーカーを携えた女性が立っている。ベビーカーから降ろした子供を抱えてバスに揺られ、しかしベビーカーは畳まず、フラついて転ぶ寸前。目の前の座席に座っている人が、危ないから座ってくださいとキツく言って席を立つが、それを聞き入れずに立っている。席を塞ぐように立っているので、他の乗客も座れない。やがて鉄道駅近くのバス停に着き空席が目立つようになるが、それでも座らない。

 バスの運転手が、大丈夫ですか? と車内放送を入れると、他の乗客が、大丈夫ではありませんと言う。運転手は慌ててバスを路肩に寄せて客席に。ちなみに大丈夫ではないと言った乗客は、ベビーカーの乗客とは遠い位置にいて、運転手に詰問されたら、ちょっと言ってみたかっただけですと言う。また、老人に席を譲ろうとした人を、譲らなくていいと制した人がいて、その人が譲るのかと思ったら、年寄りになんて席を譲らなくていいんですと言う。

 バスに1回、乗っただけでトリプルパンチかよ… と思いながらバスを降りて歩いていたら、一方通行を逆走してきた車に後ろからクラクションを鳴らされる。車は前からしか来ないと思っている私はドキリとした。しかし、やがて、前からも車が来て、ここでもイザコザが。

 まぁ、自分が巻き込まれないだけ、よしとするか… と思うが、今度は、いきなり、指を差して、この人、盗撮です! と言われる。当然、身に覚えがない。何だと思ったら、バスの車窓から風景を写したことを挙げて、見ず知らずの人にカメラを向けるのは盗撮です! と言う。いや、風景は人ではない。周囲から痛い視線を感じるが、同じバスに乗っていた人が、この人の言っていることは嘘です! 気にしないでください! と大声を上げてくれた。盗撮だと叫んだ人を捕まえて、警察、行こうか、と言ったら逃げてしまった。

 このBlogをお読みの方なら察していただけると思うが、普段の私だったら、煩わしい、鬱陶しいと思い、1日、それでモヤモヤしてしまうはずだ。しかし、持っていった本を吸い込まれるように読んでしまい、動じない自分が不思議だった。そして、いきなり、同僚に、マインドフルネスという言葉を御存じ? と言われる。宗教じみた言葉だけど、今は心理学的に使われているんですよと言う。私が、そういう状態にあると見たのか。

 でも、個人的には、私が動じなかったのは、席を譲ろうとした人や心配する運転手、あるいは私を庇ってくれた人、そういう人がいるというのは捨てたものではないと思ったからだと思っている。そして、読んだ本に記された、有吉佐和子さんが紡ぐ美しい日本語。本を読むのが遅い私は、やっと第一部を読み終えただけだが、これらの人がいて、この本を読み切らないうちは、私の心は、ちょっとやそっとでは不安定にならないと思う。

弱気になると風采が上がらない。

 今日も精神障害者地域支援センターへ。そこで軽く嫌われている人がいるのだが、私は、その人には同情的だ。50歳を過ぎて独身だし… と訴えていて、それの何が問題ですか? と、言われた人に一蹴される。世間体が悪いと答え、そんなことを気に留めている人はいませんよと、さらに一蹴。暗に、しつこいと嫌われますよと言われていることに、本人は気が付いていない。

 しかし、私も、昨日、書いたように、病気で寝込んでいるとき、コンビニに弁当を買いに行って「食事も作らないでゲームをして飽きませんか?」と言われると嫌な気持ちになる。これも何度か書いているが、対人関係のトラブルを起こしたときに、TVの取材か何かで、近所の人のコメントとして、食事も作らずゲームをしていると事実でもないことを流されたら堪ったものではないと思う。

 今は、それは考え過ぎだと思うし、堪ったものではないというところまではいかないということは、言われたときは、精神的に弱っていたのだと思う。精神的に弱っていて食事が作れなくて、それを悪いことをしているように言われるという、泣きっ面に蜂の状態だ。私は主義で独身を貫いているから独身だと言われても平気の平左なのだが、その人が口にする無職という言葉は、私にも他人事ではない。

 木乃伊取りが木乃伊になるではないが、この人みたいに私も嫌われているかもしれないと思ってしまった。しかし、ここで唱える呪文は、木乃伊取りが木乃伊になるではなく、人の振り見て我が振り直せだろう。その人は風采が上がらないこと甚だしく、それも彼が嫌われる所以なのだが、やはり人は見た目によるのだなと思った。気を取り直して努力すれば、外見に自信が漲るとまではいかなくても風采が上がらないとは言われなくはなるだろう。