身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

自殺は安易で無責任な選択?

 憤っている。Facebookで友人が、掲題のような投稿を上げていて反発感を覚えた。それを書いたら自殺とは離婚するようなものだと反論された。バカなことを言うな! というより酷い言葉だ。その人の友人には自殺した人が多いようだが、こんな友人がいたら追い詰められるのも当然という気がする。自殺した人に対するコメントを見ても冒涜しているのかと思う。おそらく、というより確実に、彼とは友達でなくなるだろう。悲しくて酒を飲んでベロンベロンになっている。色々と申し訳ない。

 

 

2019年04月14日・追記

 私には自殺未遂の経験がある。今も、踏ん張っているけれど、昨日から精神の症状が辛く、感情的にならず冷静に考えて、これは死んだほうがマシだなと思っている。死を客観的に見られる人にとって、この人のような存在を、生きている上でプラスになるとは思わないだろう。

しっかりしなきゃ。

 頑張って机に向かおうとするのだが力が入らない。横になって本を読もうとしても駄目。イライラする。酒に逃げたい気持ちが止まらない。

 今日は週に1度の通院日。予約は例によって午後4時半なのだが、このまま酒を飲むことは避けたいので午前中に予約を変更してもらう。

 診察で主治医から思ったような反応が得られなかった。思うようにいかないなら何もしなければいいではないかと言われるが、そうでないからジレッたいのだ。

 意外と早い時間の診察にしたのに、薬局やなんやかんやで終わったのは昼過ぎ。食事にするが、どの店も混んでいる。

 薬局で、お釣りを貰ったのに、貰ってないと主張してしまい、何かやっていることがトンチンカンだなという自覚はあった。

 それが、定食屋で相席になり、緊張感が高まったのだろう、箸を引っ掛けてお椀をひっくり返してしまった。

 さらに傘を忘れそうになり、店の前にある雨でビショビショになった玄関マットに財布の中身をブチ撒けてしまった。

 よく、ドラマなどで、雨の中、書類を散乱させてしまったOLさんにスポットライトが当たっている画があるが、気分としては、あんな感じ。悲劇のヒロイン。

 財布の中でカード類が雨に濡れてくっ付いている。そんな疲れが出たのか、帰るなり気絶するように数時間、寝てしまった。目が覚めても起きられない。

 再び医者に電話をするが、それは、あなたが囚われているからですよ、そのままゴロゴロしていてくださいとのこと。

 ゴロゴロしたいのは山々だけど、読まなければいけない本もあるし、書かなければいけない文章もある。ついでに観たいTVドラマもある。

 勤めていないのだから、金を稼いでいないのだから、だからこそ、これくらいは、しっかりとやらなくては。

腑抜けの苦しさ。

 今日の東京は朝から雨で、水道の蛇口をひねったら、久しぶりにお湯ではなく冷たい水が出た。今日はゆっくり本が読めると思ったのだが、なんか力が抜けてしまった。

 昨日までの異様な疲れの反動なのか、眠くはないものの、なにか力が入らない。今日の、このBlogのエントリーも、やはり腑抜けている。申し訳ない。

 

 さて、鷺沢萠先生の遺作エッセイ集『かわいい子には旅をさせるな』を買った。一日千秋の思いで待ち望んでいて、昨日、届いた。

かわいい子には旅をさせるな

 

 Amazonに新品に近いコンディションで出ていたので買ったのだが、積み重ねて置かれていたのか上部が少し凹んでいるものの、帯も付いているし、なんと愛読者カードも入っていた。

 遺作ということで、愛蔵版的な意味があるのかもしれない。読むほうにとっては難なのだが、本文もアート紙だ。前の持ち主が、未読ではなくコレクション的に持っていたものではないかと思う。

 最近の私のBlogで、これは静岡市立図書館のニュースと関係しているのかもしれないが、「本は財産。」というエントリーが読まれている。この本は、こうやって扱われるものだという見本のようなコンディションだった。

 その状態の割に価格が安いのは、読んで納得だ。内容が薄いという言葉があるが、力が入っていないのだ。鷺沢先生は、比較的、考えさせられる文章を書く人なのだが、それがない。

 そして、再びAmazonを見ると、やはり、骨太の作品の方が価格が高い。かつて、何かの雑誌で、あるベストセラー作家が、いくら売れても1年後に古本屋で100円になっちゃなぁ… といっていたのを思い出す。

 私のBlogにおいても、最初は読まれるエントリーが迷走していたが、最近になると、真面目に考えた文学的な文章が読まれている。私にとっては喜ばしいことだ。そして、今日、文章に力が入らなくて心苦しい。

 この程度のBlogを書いている人間でさえ苦しいのだから、鷺沢先生が筆力の低下のために死を選んだとしたら、なんとなく理解できる。過去の作品を読んでも、鷺沢先生、苦しまれたんだろうなと思う。