身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

書きたいもの、読まれるもの。

 鬱は少し、いいみたいです。しかし、そんなことばかり書いていたのでアクセスはガタガタだろうと思ったら、意外と雑記カテゴリーのエントリーが受け入れらていて、読者の方々には、そういう文章の方がいいのかなと、ちょっと複雑な気分。

 

 

 さて、今日の話。朝、区役所の支所から電話があって、東京都から新しい障害者手帳が着いたので取りに来てくださいというので取りに行って、その足で併設の区立図書館へ。暇そうな人が雑誌を読んでいて、ほぼ満席。

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 近所のサイゼリヤで500円ランチを食べて帰宅し、いざ、借りた資料に目を通そうとしたら… 眠い。夜は睡眠薬を服んで1日に8時間以上、寝ている。しかも薬を服んでいるから熟睡しているはずなのに、とにかく眠い。

 仕方がないのでタイマーを掛けて30分だけ寝た。睡眠薬を服んでいるせいもあるが、これで夜も眠れてしまうのが不思議なところだ。ただ、過眠になって肌の調子は凄く良くなった(笑)。眠気が覚めたら、少しは本が目に入る。

 

 

 借りてきた本は夏目漱石の書簡集と、篠田節子さんの小説。篠田節子さんは好きな作家で、「マエストロ」などバイブル代わりになっている。観月ありささん主演でドラマ化もしている。ドラマは、けっこう原作に忠実。

 

マエストロ (角川文庫)

マエストロ (角川文庫)

 

 篠田先生の作品の特徴は単調だけど骨太いところ。この作品も、技量は少し足りないけれど派手な容姿で売れっ子になった女性ヴァイオリニストの物語。本人も力がないのは自覚しているのだが、パトロンのおかげで立場が成立している。

 そこに、ヴァイオリン職人とトラブルあり、大きな事件に発展してしまう。これから読む人のために人生が狂わされるとしか書かないが「死体の転がらないミステリ」(「文庫版あとがき」より)である。

 しかし、そこから再生する彼女の人生についても多く割かれており「未熟な女性ヴァイオリニストの試練と成長の物語という側面が加わった。」(同) 私は、むしろ、こちらの方が主題だと思っている。

 私は、這い上がり、しかも以前より成長している彼女の力強さに心打たれる。そのため、何かあると、この本を読んで自分の士気を鼓舞する。それは入院して心細くなったときだったり、拘置所で3ヶ月も独りで過ごしたときだったりした。

  

女たちのジハード (集英社文庫)

女たちのジハード (集英社文庫)

 

  他方、直木賞受賞作ということで『女たちのジハード』を読んでみたのだが面白くなかった。本人も、この作品で直木賞を獲ったのは不本意らしい。 書籍が手元にないので記憶を頼りに書くと、ある会社に勤めるOLの同僚たちの話。

 多くの女性の最大の関心事である(男性でも、それが第一という人が意外と多いが)結婚・婚活が表向きのテーマ。主人公以外の同僚で、小さな駆け引きに巧くいって結婚したはいいが結婚生活が巧くいかなかったりという例が示される。

 しかし、ちょっと婚期を逃してしまったかなという主人公が、どんな選択をして、どんな結婚観を得て、どんな人生を選ぶのか。人生観を確立する話と括ってしまうのは簡単だ。篠田先生は前出『マエストロ』の「文庫版あとがき」に次のように書いている。

「女たちのジハード」以来、発表される作品が、どれも女性の「自立」と「自分探し」というキーワードで解釈されることが増えてきた。どのような読み方をされるのも読者の自由だが…(後略)。

 

 私は、昔はそうだったが、今は熱心な読書家ではない。精神病で活字が読めないときも10年以上続いたし、今でもコンスタントに読めない。気に入った作品があったら、その作家の作品を、ひと通り目を通そうという感じで読んでいる。

 読んだ作品数は少ないけれど、篠田先生の本を読み始めて、もう10年近くになるのではないだろうか。本当に、数年に1冊のペースなのだ。そんな中、図書館で目にして一気読みしたのは、こちら。

 

妖櫻忌 (角川文庫)

妖櫻忌 (角川文庫)

 

  原題は『ジェスマイヤーの手』というそうだ。『マエストロ』が『変身』と改題されたのは、さすがにそれは… と思うが、『妖櫻忌』も解りにくいタイトルだが『ジェスマイヤーの手』よりは良いと思う。

 ジェスマイヤー(ジュスマイヤー)はモーツァルトの遺作を完成させた人で… と、そのエピソードは、この辺で止めておきます。小説家の先生方は誰でも、ネタのない嘘は付けないと仰いますが、あらかじめ、これですと言われると、ちょっと困惑する。

 しかも先生によっては、元のエピソードというか底本と同じのを書く技量は自分にはないんだよねと言う人もいるから、私としては、ちょっと待ってよ、それを本にして(しかもできれば金を払って)読んでくれって言っているわけでしょ… となる。

 さて、『妖櫻忌』では、最初に、モーツァルトにあたる文豪が死亡する。その大先生が、どんな理由で死亡したのか、死亡しても出てくる大先生の原稿は、誰が書いているのか… というミステリーだ。

 これも原作が手元にないので私の感想になるが、勢いがあって一気に読める。量としては400枚以上かな… けっこうある。私は図書館のあとに用事があり、それを済ませると同時に最寄りのファーストフード店に駆け込んで一気に読んだ。

 

 

 ここまで書いてきて、文学作品に対する自分の大きな「評価ポイント」に気が付いた。ハッピーエンドとはいわなくても、読んでよかったなという気分になることだ。どんなに優れた作品でも、読後感が嫌な作品はイヤだ。

 例えば角田光代先生。『紙の月』だって、主人公が逮捕されたところで、その後の明るい未来が私の中で描けない。『八日目の蝉』だってそうだ。救いがない。親の方は取って付けたような希望があるが、子供は、どうなんだろう。

 篠田先生の『妖櫻忌』に明るい未来があった記憶がないが(みんな死んじゃうから明るくはないと思うんだけど)少なくとも嫌な後味というのはなかった。この基準は、純文学であろうと、娯楽文学であろうと、私の中では一貫している。

 最近、漱石の「人となり」に興味があって書簡などを借りてきたが、彼の小説も、だいたいが明るい方を向いて終わる。篠田先生の小説、漱石の書簡を読んだ後は、ぜひ、漱石の小説も再読したいものだ。

 

 

今週のお題「読書の秋」