身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

酔っ払いを表現する。

 昨日、酔って皆さんに御迷惑をお掛けしたので、酒のことについて書こうと思った。酔っ払っても「酔っていない」と言い張る人間がいると聞くが、私は酔っている意識があって、そう断って何かを言う(何を言っているのか判らないらしいが)。

 

 以前のBlogで好評だったエントリーには、夏目漱石に関するものが多かった。友人に言わせると、私は漱石のことになると嬉々として話すらしい。さほど読んでいないのに。

 その多くは、漱石研究の第一人者、中島国彦先生に聞いたお話だったので、半分以上は中島先生の功績ですね(苦笑)。

 中島先生の凄いところは、漱石に関するドラマの監修などを務めていらっしゃるだけでなく、同様に、漱石とは関係のない民放のドラマなどもご覧になっているところ。

 私は慶應の教授に、自分が読んでいる文学作品について訊いたら「そんなのは文学作品と呼べないね」と冷笑されたことがある。(ちなみに中島先生は早稲田。)

 私としては芸術作品に甲乙を付けたり、自分の価値観で評価が低いと思ったものを見下したりするのが大っ嫌いだ。

 常に疑問に思っている。芥川賞直木賞を獲った作品は全て素晴らしいのか? 売れている作品・読まれているは良い作品なのか?

 百田直樹氏が自著『夢を売る男』で、自費出版を見下した表現をしていたことにも、ものすごい腹を立てている。

 身銭を切ってでも読んでもらおうというほうが、売文で稼いでいるより、よほど崇高なことだと思えるからだ。

 私は以前、「『作家装い』~村松友視作品から考えること」という駄文を雑誌に掲載していただいたことがあるので、このことは、後日、書く。

 

 さて、先日、拙Blogで(リンク確認)鎌倉に死にに行ったら逆に救われた話を書いたが、鎌倉を舞台にした「最後から二番目の恋」という連続TVドラマシリーズがある。

最後から二番目の恋 Blu-ray BOX

 

 この作品(特に続編)での、長倉和平を演じる中井貴一さんの酔っぱらいの演技が、巧いのなんのって。実に気持ち良さそうに、美味しそうに飲む(演技だけど)。

 小泉今日子さん演じる吉野千明と恋仲… 互いに大人(合せて100歳)なので、そういわないかもしれないが、茶飲み友達という言葉があるように、良い「酒飲み友達」だ。

 この作品では、他にも酒を飲む人たちが多く出てくるのだが、酔っぱらいの演技が多いのは浅野和之さん演じる水谷広行。ただ、これは単にクダを巻いているだけ。

 小泉今日子さんは本人が酒豪として知られるが、いや、それゆえなのか、酔っ払って行動が大きくなるようなアクションはしない。

 なので、どうしてもオーバーアクションなのに巧い中井貴一さんの演技が引き立つ。あまりに美味しそうで、私も思わず酒を持ってきて観ながら飲んでしまう。

 さらに、イイ話が続々と出てくるのだ。ネタバレになるといけないので、一例として、誕生日の話を(私の解釈が入っているので元の話と違うかも)。

 千明の誕生日を祝うとき、和平は千明の年齢の数・48本のローソクをケーキに刺す。それを見て、千明は、大きな1本をもって10歳にできないのかと苦言を呈する。それについての和平の答えは、こうだ。

 誕生日を祝うのには2つの理由があります。ひとつは、当然、生まれてきたことについて、おめでとう。もうひとつは、頑張って、今、ここにいることに、おめでとうという意味です。

 ローソクの数は、あなたは、こんなにたくさん、頑張ってきたという証なんです。ローソクの数が多ければ多いほど、頑張ってきたということなのです。それを10年を大きな1本でなんて雑なことはできません。

 もう、酒で涙腺が弱くなっているから、TVを観ながら泣いちゃったね。ストーリーだけでなく、エピソードも味わっていただきたい。

 ちなみに私はビールしか飲めない身体になってしまったが、千明の家には焼酎が常備してあり、バーではウィスキーなどを飲むオールラウンダー。

 

 さて、酔っぱらいの表現が巧いといえば、前に出てきた夏目漱石がそうだ。『猫』では、主人公の猫はビールで酔っ払って池に落ちて死ぬ。

 漱石を主人公にしたTVドラマ「夏目漱石の妻」でも、弟子が漱石の家(漱石山房)に集まって宴会をし、境子(漱石の妻)が酒の準備に追われる描写が出てくる。

 私は、てっきり、漱石も飲んで楽しく過ごしているのかと思ったら、先日、Twitterで流れてきた、下記の記事を見ると、そうでもないらしい。

www.kirin.co.jp

 

 この記事に「私は上戸黨ぢゃあ有りません。一杯飲んでも眞赤になる位ですから、到底酒の御交際は出来ません。」という漱石の一文が引用されている。  

 たしかに、漱石が酒宴に出たという話は聞かない。イメージとしても午前中は文筆に勤(いそ)しみ、午後は来客の応対をして、夜は寝てしまうイメージだ。

 忙しくなるのは、弟子たちが集まる木曜会のときだけ、しかも、それも外出するのではなく自宅で、というイメージが強い。それも煩わしいと感じている。

 しかし、ここで思い出されるのが、学生時代に通った神田にある松榮亭という洋食屋。ここには、漱石が考えたという「洋風かき揚げ」というメニューがある。

 私は、てっきり、漱石はビールを飲みながら肴として食べたと思っていた。「猫」のイメージが強いのか、漱石とビールは、私の頭の中で結びついて離れない。

 漱石の人生で酒がなくて成り立たないと思うのは、晩年の磯田多佳女とのことだ。待合茶屋の女将との恋なんて、酒なしでは成り立たない気がする。

 

 「最後から二番目の恋」の原作者・岡田惠和さんや主演の中井貴一さんが、酒を飲むのかどうかは知らない。しかし漱石にいたっては酒を飲まない。

 どうも、酒に関する表現は、酒を飲むか否かとは関係がないようだ。酔っぱらいの表現を、どうやって会得するのか、今の私には最大の謎である。