身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

鎌倉は命の恩人。

 昨晩、一睡もできず、Facebookの鎌倉の地域グループに、過去の体験を投稿してしまった。「しまった」というのは大きすぎる反響を考慮しなかった。ちょっと直して(グループ向けの部分は省いて、控えていた表現を直截的なものに替えて)ここに掲げる。

 ブラック企業の存在が社会に出るずっと前の、今から二十数年前、私は、まだ新卒の会社員でした。残業が月に250時間を超え毎日タクシー帰りという日を過ごしていました。しかし家族には、嘘を付くな、新入社員に遅くまで仕事をさせる会社があるわけがない、夜遊びをしていると決め付けられ、相応のことをしろと更に負担を増やされました。もっと大きな要因があったのですが、これが一番、皆様に判りやすい要因でしょう。

 それで気がどうかなってしまったのでしょう、私は鎌倉に死にに行きました。そもそも、どの駅からJRに乗ったのかも覚えていませんが、最初は藤沢に出て東急ハンズで遺書を書くための文房具を買いました。その日は藤沢に1泊したのですが、ホテルはどこも満室で、商人宿とも連れ込み宿とも知れぬ旅館だけが空いていて、気分は堕ちるところまで堕ちました。

 そして、なぜか次の日は江ノ電で鎌倉に向かいました。これも、電車に乗った記憶は全くないのですが、変なところだけ記憶にあって、まだ社名が江ノ島鎌倉観光だった気がします。鎌倉に着いても、どこをどう歩いたのか覚えていません。父の高校が鎌倉学園だったので、よく観光には連れていかれましたが、なぜか寺社がある表側ではなく長谷にいました。

 長谷大路というのでしょうか、由比ヶ浜から御成町に向かう通りを歩いていて、通りに面した民宿に泊まりました。ここでの食事と歓待は、忘れることができません。今、地図を見ると御成中学校入口の交差点付近だと思います。由比ヶ浜から市役所に向かって右側です。バイクで旅する人が多く宿泊していました。

 重い話ばかりでも何なので、ちょっと面白い話としては、それから鎌倉で過ごした時期を、私は「鎌倉時代」と呼んでいます。鎌倉時代は暗くて重いことばかりというわけでもなく、さすがに民宿で過ごすのには所持金が底を尽き始めたので、今のホテル・ニューカマクラに宿を移しました。今の前にレディス・インになっていた時代があったと思うのですが、その、さらに前です。

 納戸に蒲団を引いたような部屋でした。その割に値段は高かった気がしますが、当時は女性専用の宿ばかりで、そこに滞在するしかありませんでした。そして毎朝、私は由比ヶ浜まで散歩をしました。そこで触れる人々の優しいこと。ものすごい形相をしていたと思うのですが、会う人会う人に挨拶されました。私は1日1食の食事(たぶんパンだけだったと思う…)を紀ノ国屋で買い、中央図書館で夜が更けるまで机に向かっていました。痩せこけていたのでしょう、自宅に招いてくれる人もいました。

 鎌倉の人々の優しさ、毎日、大好きな勉強ができるという環境のおかげで、私の心は数ヶ月で、かなり回復しました。そして、数ヶ月が経って、私は会社に電話をしました。会社には、すぐに出て来いと言われました。家族が心配して駆け付けているということでしたが、それは単なる演技で、私の家財は、ほとんど捨てられており、そのまま家を追い出されました。(後略)

 

 なんか、昨日は、このBlogに書いた「アンフェア」の一件で過去のことを思い出してしまい、一睡もできなかった。私が幼いころ、文壇では名作は夜に作られると言われていた。私は名作は書けないが、昼は何も書けないので、なんとなく、それが解る。

 今の小説家が、皆、漱石のように朝から書いているのが信じられない(漱石は学者出身だし)。今の作家は到底、秘書など雇えないからエージェンシーと契約しているのだけど、「コルク」という会社は朝から作家とチャットミーティングをするそうだ。